プログラミング教育の分野に新規参入でペイする気がしない・・・もう、これにつきる。
20年近くIT業界で飯食ってると、新規ビジネスとか新規サービスの企画に携わることもチラホラあったり、通称「国プロ」と呼ばれるような文科省・経済産業省・厚生労働省から特別行政法人を経由してやってるようなシステム開発・新技術の開発プロジェクトもチラチラお手伝いすることもあるわけです。そういった経験からして、なんとなく新しい行政主導のビジネス分野が立ち上がって来たときに、報われるパターンと報われないパターンが見えてくるのですが、このプログラミング教育の分野というのは、9割報われないなというのが見えてしまうので、なんだかなーと言うお話を書いてみたいと思います。だからやめようぜって話じゃ無くて、なんとかしてあげないと本当に頭に汗をかいた人達が報われないなぁという市民の叫び。
まず第一の前提として、プログラミング教育のゴールは誰も見えていないということがあります。私達が子供の頃、世界中の子供達にプログラミングを教えようという発想すら無かった訳です。まず、子供がコンピューティングできる環境が少なかった。それは一部の意識高い系の親を持つとか、そのうえで近所のおじさんに教えてくれる人が居ただとか、そういう幸運に幸運を重ねた子供達だけの特権のような存在。アーリーアダプター以前の領域。そんな幸運に恵まれた子供達でさえ、しっかりとしたプログラミングを教えて貰える人は稀で、まあ普通はPCゲームを楽しむために必死にコマンドを覚えて終了というのが一般的な到達ラインだったのではと思います。BASICマガジンを写経してりゃ優秀。
状況が変ってきたのは2006年のScratchの登場でしょうか。それまで子供にプログラムを教えるというのは、一部の天才的な子供に伝授する秘伝だと思われていたものが、実は方法論とツールさえあれば教えることができるということを実際に証明するツールが公開された訳です。
VisualProgrammingと言うもの自体はScratchが最初なわけではありませんが、それを子供の教育に使えると言う事を証明したという功績はやはり偉大なことであり、そういう発想を世間一般の人々が受け入れる土台としてGUIを一般社会に普及させたWindowsの功績も認めざる得ないですし、そのWindows誕生の大元であるパロアルト研究所だの初期のApple等の功績は、世界の変化の源だったりするんだなぁと思います。で、そういう今時のコンピューティングの起源となっているような技術を研究され始めたのでさえ1960年台といわれていて、歴史的にはつい最近の出来事です。そんなつい最近の概念を、子供に教える方法の研究だなんて更につい最近、歴史的にはさっき始まったばかり。そんな分野で今もっとも認知度が高いScratchは、偉大なツールではありますが、真に最高のツールなのかはまだ決まっていないと考えるべき。Scratchはゴールじゃない。もう一度断言しましょう。ゴールはまだ誰も見えていない。
ゴールの見えていない分野でありつつ、可能性は無限大の子供のプログラミング教育分野。こえはクリエイターにとってもビジネスマンにとっても非常に魅力的な分野です。なんせ人類に新たな知恵を獲得し、より豊かな生活を得られる可能性があるわけですから。日本中の子供達が算数を教えられるようになった時代とそれ以前ではやはり国民全体の豊かさのレベルが違うはずです。プログラミング教育には同じような可能性を多くの人が感じています。そして初期の学校教育で算数を教える方式と、現在のほぼ完成されたといわれている方式では雲泥の差があるように、プログラミング教育も数十年後には「あぁ昔はそんな教え方していたね。無謀。」とかってサラリと言われる日が来るはずです。その為には沢山のプレイヤーが知恵を出し合ってプログラミング教育の発展に寄与しなければなりませんし、私なんかに指摘される以前から多くの人がすでに活動を行っています。
そんな社会的な期待値の高いプログラミング教育分野ですが、そこに寄与している人達の報酬たる経済的な期待値はあまり高くはありません。いや、はっきり言おう。殆どの人が赤字で終了する見通し。原因は幾つかあるんですが、最も罪が重いと思われるのが、国の予算が十分でないなかで、やることだけが先に決まって始まったということ。いや、それ自体は仕方がないにしても、そこから予算をひねり出すのに十分な時間は十分に経過しているはずなのですが、依然としてどこからどのようにプログラミング教育用の予算が出てくるのか見えない状況です。果たして国の補助はあるのか?それとも引き続き交付金の中から各自治体が財政状況を勘案して教育予算をひねり出すのか。見えない。全く見えない・・・っていう状況が続く中、前回の衆院選では幼児教育の無償化っていうキーワードについてのは財源が先走って決まった模様。やれやれ。その金があるなら、引き続き払える人には払ってもらって、こういう分野に使うべきなんじゃないでしょうかね。(あと、幼児教育で言えば無償化より全入化が先という意見のほうがまっとう)ところが、プログラミング教育に使いますじゃ選挙の材料にならなかったってことなんでしょうね。そうなると、学校教育なんて元々が利益の出ない業界なのであって、そこに追加予算のあてがないんじゃ、地方自治の首長は大した予算を積まない見通しなのは明白です。そんな見通しの業界に、産業界のエリートたちは本気で参入するなんてことはなく、CSRとかっていう耳障りの良い活動の範囲内でちょっとした自己満足を得るぐらいの活動に終始する事になります。(私の公式上の立ち位置はここ。あっエリートじゃないや。)結果リタイア寸前の人の良いエンジニアや、更にお人好しで期待リターンとか無視しちゃう一部のスーパークリエーターがコンテンツ開発をやってくれている状態です。もちろん彼らの行動には敬服しますし、賞賛すべきですが、そういう方々の善意だけを期待してこの分野で継続的な発展が見込めるかというと見通しは暗いでしょう。かろうじて2020年ぐらいまでは皆さんのモチベーションも持つかもしれませんが、いざ小学校の導入が始まってしまった後に、既存のコンテンツの改善や更に新たな方法論を試す気力を持ちづづけてくれるかどうかは、やはり経済的なリターンがどれだけあるかにかかっていると思います。良いもの作った人がしっかりと儲からないとその分野の発展は無いんですよ。「値段のつけられない価値がある」とかっていうキャッチコピーは、その人自身が支払ったものに対して十分な対価を手に入れているかどうかなんて知ったこっちゃなく、決済量だけで収益が決まる企業の都合の良い言い分であって、普通の人は使った知恵や肉体の時間に対して、十分なお金をもらえなかったら生活は苦しくなります。当然それを容認できるプレイヤーは減っていくでしょう。
じゃあ、どういったプレイヤーがプログラミングコンテンツ開発に残ることができるのか?おそらく、既存の学校教育分野で利益を上げている企業です。彼らは少いパイを上手に食べる方法を熟知しています。それは例えば受注確度(落札確度)を極限まで高める違法スレスレ(違法じゃなく合法の範囲内ですよ。)の情報コントロールであったり、受注後の納品に関わる手の抜きどころ(原価低減)であったり、要はこの業界で期待収益を極限まで高める知恵がある会社です。それなりの資本力も兼ね備えてないと、公共入札のリスクにも耐えられないでしょう。真意公平な公共入札なんてありませんし、そういう仕組をやりすぎると入札を管理する側のコストが増大して、税金の効率的利用という側面で著しく悪影響を及ぼします。そういうことに耐えられるプレイヤーは極めて限られていて、どんなに良いコンテンツを開発したとしても、その知恵のない新興企業は初年度でビジネスが成り立たなくなって消えていく可能性が非常に高い。そして仕方なく新規プレイヤーはアイデアだけを既存プレイヤーに吸い取られて消えていく運命にありあます。そしてなんとか全滅を回避したい新規プレイヤーは当面の金銭を得るために手っ取り早く民間のプログラミング教室とかを初めて、お金持ちのご子息を育てるわけです。民間には高額なプログラミング教室が溢れ始めています。そうすると教育の格差が広がって、富の固定化が促進される可能性が高まります。私は頑張った人が頑張っただけ儲かればよいと思っていますが、生まれた親の財力によって格差が生まれるのは反対です。そして、紙と鉛筆だけでは教育が成り立ちにくいプログラミング教育を民間だけに任せると、その危険が高まるのを危惧してしまいます。なるべく平等にチャンスを設定するための教育制度の充実というのは、単純に「無償化」と叫ぶのでは無いと思う。
プログラミング教育の分野について、どっからどれだけのお金がでるのかそろそろはっきりしないと、この分野を牽引しているプレイヤーがかわいそうなだけでなく、彼らが民間側に流れすぎて公教育がプアになってしまうと、未来の世代の収入格差の固定化が危惧されます。早くそれなりの財源が確保されることを公表してもらいたい。もちろん安易な尻馬に乗ってるだけのプレイヤーも多いので、彼らを救う必要は全くありませんが、良いもの作っている人達が希望を持って、そして最初のうちの多少の企業運営の稚拙さを補うくらいの収益を払えるくらいの財源があることを(そしてそれがいつぐらいに支払われることになるかを)提示する時期にきています。そうしないと、耐えられなくなった善良なエンジニアやクリエイターや起業家達が逃げ出すまでの時間的猶予はそれほどないのではないかと思います。違う見通しがあるなら誰か教えて。。。